2011年12月2日金曜日

30日の報告

ヘビサイドです。30日の様子を紹介します。
30日の午前中は、農工大の公開企画とチャットでつながりました。直前にネットがつながらなくなり焦りましたが、復旧してチャットトークは成功。日本や途上国の更新姿勢等が質問に出ました。
午後は会場内の残りのブースをまわり、大量の資料を読み始めました。今日のECOでは、EUが京都第二約束期間を8年で主張していることに対して、長すぎると批判してあったり、アメリカに交渉への積極的参加を促す記事が出ていました。
旧ソ連国がソ連崩壊で温室効果ガス排出量を急減させ、大量の排出枠を持っている、いわゆる「ホットエアー」問題では、ホットエアーが最大で75~100億トンにものぼる膨大なものであり、この枠が使われては2℃安定化は困難だと書いてありました。ECOは第二約束期間へのホットエアーの持ちこし上限を各国排出量の1%以内に制限するよう求めています。
日本はこのホットエア...ーを大量に買い込んで、第一約束期間の目標達成をしようとしており、産業界からは「今後も国内対策よりも排出枠を買ってくる方が安い」との議論もあります。しかし、ホットエアーの購入は温室効果ガスの削減にはなりません。国内削減で2020年までに25%の削減をめざすべきです。
ECOはほかにも、化石燃料そのものやその使用への補助金が温室効果ガスの削減を弱めていることも指摘していました。
会場で配布されているECOはこちらで同じものが読めます。
http://www.climatenetwork.org/eco-blog

他の資料の中で個人的に印象的だったのが、北極の氷融解についての資料でした。グラフで見るとあらためて、2007年にかけてIPCCの予測の幅を超えて、北極の氷の面積が縮小していることが分かりました。IPCCの予測は当然不確かさを持っていますから予想より被害が小さくなることもありますが、それと同じだけ予想より大きな被害が出る可能性があることを忘れてはならないと感じました。

夕方はNGOミーティング場所の予備として、ロビーの椅子確保をやってました。地味にNGO活動に貢献しました。
その後化石賞授賞式を見ました。今日はポーランドとカナダですね。カナダは連日受賞しています。

夜はCASAの早川さんや日本からの青年、途中から大学の先生も交えて夕食会。日本政府をどう動かしていくのか等、議論が盛り上がりました。日本の中でも私たちが認識していない温暖化抑止の動きが様々にあることを知りました。
1日は会議場の議論を中心に聞いていきたいと思います。
climatenetwork.org
ECO is a daily insiders look at what is happening in the negotiations. And perhaps more importantly, what should happen at the negotiations from CAN’s perspective. ECO is published every day of the negotiations, and has been done so since the Stockholm Environment Conference in 1972.

29日の報告

こんにちは黒雲です。
29日は、30日に農工大学で行われたイベントのための現地レポートビデオを撮影しました。
限られた時間の中でどういう構成にするか三人で話し合い、出来上がったものを消去してしまうというアクシデント(消してしまったのは自分です)を乗り越え、より良いものに仕上がりました。
さて、会場は初のアフリカでの開催ということで、当たり前ですがアフリカのブースが多くみられました。特に、気候変動による被害状況など特に影響の大きい地域の資料や、展示が多く、気候変動の問題が『すでに起き始めている』ということを思い知らされました
一方会議では、「アフリカはこの地を京都議定書の墓場にはさせない」と発言の中で繰り返し、議定書に消極的な国に対しての積極的な姿勢になるよう強く求めていました。
... 他には中国がBASICの代表として、カナダ脱退の批判をしたそうです。 
会場内は多数台のパソコンを開放していたり、SKYPE通話を無料で使えるコーナーがあったりしていました。

29日の化石賞は1位カナダ、2位アメリカでした。

NGOの話を聞いてしてびっくりしたのが、海外だと多いところだと所属人数が100万人を超えるところもあるということでした。つまりそこの方針がその国の政府に影響を大きく及ぼすことができるのです!!
因みに日本は最大で5万人程度のNGOしかなく、制度としてもそういった団体を構成しにくい現状であり、市民の声が政治に反映されにくい状態であるのだと感じました。しかし政府の方針を嘆くのではなく、自分達で方針を決める努力をすることが重要だと思います。その一歩としてまず私は今回の派遣を通し学んだことを多くの人に伝えていこうと思います。

2011年12月1日木曜日

11/28

11月28日report


u-maのどあめです。27日22時に日本を出て、ドバイを中継してCOP17の開催地ダーバンに向かいました。時間が進むのと同じ方向に飛んでいたため、普段よりも長い1日になりました。ドバイで乗り継ぎの暇があったので、その間にホテル到着までの流れの確認等しました。ドバイ‐ダーバン間の航空機内には、航空会社がCOP開催に合わせて、「よりCO2低排出で、高効率なフライトに向けた取り組み」を行っているとのブックレットが置いてありました。COPの期間中のフライトは新フライトプランの実施期間となっていたようです。日本でもこういった取り組みがあればいいのになあ、思いました。

 現地に到着して入国審査を受けるとき、COP17参加者用のゲートが用意されているなど、国を挙げての受け入れ姿勢が見られました。現地に到着してまず感じたことは、「広い」ということと、「視界がクリア」であるといったことでしょうか。この感想はともかく、空港内もCOPの装飾がたくさんありました。休憩ブースがCOP17の広告で飾られていたり、床にCOP17とかかれた緑の足型がかかれていたり、会場への直行バスが用意されていたりしました。僕たちは会場への直行バスに乗り、会場から各ホテルの送迎バスに乗ることにしました。会場に着くと周りはすっかり暗くなっていました。星はあまり見えませんでした。初日から参加した人たちも帰途に着くころだったようで、会場からサウスビーチ方面の送迎バスには僕たちの他、20人ほどの人が乗りました。英米系の人や、韓国、アフリカの人など、いろんな人が乗っていました。

 ホテルに着いて、チェックインにてこずりながらなんとか部屋に到着。部屋から海が見えたのですが、浜辺にCOP17に合わせたイベント会場が作られていて、夜にも関わらずにぎやかな騒ぎが聞こえてきました。夕食はホテル内のレストランに行ったのですが、ステーキ400gなど、量のスケールが違ったことや、ソフトドリンクがコーラやファンタなどの炭酸しかないことが印象に残っています。途中で早川さんに出会い、COPについて少しお話を聞くことができました。これでこの日の出来事は終わりです。翌日からの会場入りに期待を膨らませて、ぐっすり寝ました。